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引っ越し、ほぼ完了 [ドイツでの生活]

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(契約書にサインした日の部屋)
 ベルリンへの旅について、少し書き始めてしまいましたが、現状報告を少し。6月から始めた住居探しから、先日無事に引っ越しがほぼ完了。5月から遠隔操作で日本からアパートを探し(結局見つからず)、6月いっぱいも探し続け、住む場所が無い、と心配になる6月下旬、ようやくアパートが見つかり、契約することが出来ました。1ヶ月あれば、アパートは見つかるだろうと思っていましたが、引っ越しシーズンがまだ始まっていないので、物件があまり出ていませんでした。また、物件があっても、縁がなくて、入居が決まらないということもありました。

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(大きさが分かりづらいかもしれませんが、棚の高さは2m。これを押すのは大変でした。)
 家具付きのアパートが良かったのですが、契約したのは、キッチンのみがついている部屋。IKEAに行って、家具を色々買いに行きました。ベッド、棚は縦2mあるので、車を運転してくれる人をアルバイトで雇い、運んでもらいました。IKEAで大きな家具を買うのは初めて、というか、家具を一から揃えるのは人生で初めてです。いつも、居候したり、又借りをしたりしていたので、直接契約者になるのは初めてでした。

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(IKEAで家具購入後の部屋)
 IKEAの安さの元である、DIY(Do It Yourself)、かなり苦労しました。説明書を読んで(文章表記はなく全て図で示してあるので「見て」)から作業に取りかかるのですが、やっぱり向きが逆だったり、まっすぐ釘が入らなかったり。自他共に認める不器用人間なので、案の定時間がかかりました。

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(インターネット接続、カーテンを除き、ほぼ引っ越し完了!)
 シンプルなテーブルは2台購入。中野のアパートでは、机一つで、キッチン、勉強、食卓を兼ねていたので、その反動でしょうか、2台購入。シンプルに見える机ですが、脚1本につき、釘5本で、脚をとめていかなくてはなりません。

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(棚とキッチン)
 苦労しつつ、ベッドと机、イスは自分で完成させました。棚も自分でやろうとしたのですが、物理的に不可能でした。大学の先輩に来て、手伝ってもらいました(代わりにランチをごちそうしました)。棚2つ、2時間かからないぐらいで完成させることができました。

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(キッチン、そして長めの廊下)
 ちなみに、作業中のBGMはイライラしないで、笑える綾小路きみまろCDと、(家族のキャンプでよくかけていて)夏といえば私が聞きたくなる宇多田ヒカルのアルバム「First Love」でした。
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「歴史」が見えるベルリン [旅’17]

 ベルリンと言えば、最初に思い浮かぶのは、やはりベルリンの壁。私は壁の崩壊1ヶ月後に産まれたので、当時の様子は分かりませんが、歴史の授業で勉強したり、少しドイツで生活してみると、やっぱり歴史的な瞬間ということを認識させられます。壁崩壊から既に/まだ27年、ベルリンへ行くと、気にせざるを得ません。

 例えば、住む場所が見つかり、私が最初にしたことは、滞在先の位置確認。ICという高速電車で向かうことにしていたので、ベルリンの駅から滞在先までの位置確認はもちろん、昔の地図とも照らし合わせてみました。昔、と言っても、1989年前、つまり東西に分かれていた時の地図です。自分が滞在する場所が、昔、東だったのが西だったのか、気になったのでした。結局、私が滞在したのは元西側、でも限りなく東に近い場所ではありました。

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 もちろん、現在、ベルリン市内に当時のような長い壁はありません。歴史的場所、ということで、展示/そのままの状態にしている場所もいくつがあります。その例が、このポツダム広場。歴史の授業でも習う、「ポツダム宣言」と同じポツダムです。この近くにある宮殿で、実際宣言が出されたようです。今では、完全に商業施設、ビジネスの中心地になっています。ただ広場には、壁の一部が今でも残っています。この広場には、一部しか残っていませんが、どこに壁があったのかを示すため、道には壁を示す石が埋め込まれています。写真でも分かるように、道路にある色の違う石は、かつて壁があった場所を示しているようです。商業施設が多くあるので、今考えると、道のど真ん中に壁があるような感じですが、当時はもちろん、西と東を隔てていた場所です。

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(ベルリンのAmpelmanお土産専門店にあるデッキチェア)
 また、私がベルリンと言えば、思い浮かべるのが、信号機です。ドイツの大都市には似たような信号機があるのですが、発祥は東ドイツ。統一後も東ドイツの物を、という声があり、この信号機が採用された経緯があるようです。今では(特に日本では)ベルリンのお土産としてかなり有名なAmpelman /Ampelmännchen、直訳すると「信号の人/信号の子」となります。蛇足になりますが、サッカーの累積イエローカードをAmpelkarte(信号のカード)とドイツ語では言うそうです。この記事を書くため、辞書で調べているとこの表現が出てきたのでした。(累積)イエローカード2枚目で、レッドカードに変わるのが信号機の黄色から赤に変わるのと似ているというのがこの表現の由来だそうです。日本から持ってきた辞書に書かれていたので、実際にサッカーの試合で使われているかどうか分かりませんが、面白い表現だと思います。

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 実際道路にある信号機で撮影したかったのですが、上手く撮影できず、結局ベルリンの「東ドイツ博物館」で撮影してきました。
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サマースクール [ドイツでの学生生活]

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 前回の記事では5月末の大阪旅行について書きました。その後、大阪、札幌、東京と移動し、6月からはドイツに戻ってきています。6月いっぱいかけて、新たな住居を探し、引っ越しをして、さらに移動です。今日(7月23日)からちょうど1週間前(16日)、ドイツの高速電車ICE(Inter-City Express)に乗って、サマースクールが開催される場所へやってきました。

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 黄色が街のカラーです。今回参加しているサマースクール、朝から夕方まで講義やディスカッションがあって、あまり歩き回ることが正直出来ていません。が、第一印象は「過ごしやすい」です(自分が住んでいる街と、どうしても比較してしまうからでしょうか)

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(ブランデンブルク門)
 前回は弾丸日帰りツアーでしたが、今回は2週間のベルリン滞在となります。

大阪城へ [旅’17]

 関西に居る祖父母訪問の旅を計画した際、元々「姫路城は行った事がないから絶対行こう」と思っていました。せっかく姫路城に行くんだから、もう一つどこか行こうと思い、関西エリアの歴史的建造物を調べてみました。姫路城、そして帰りの空港(伊丹、関空、神戸の3択)へ向かう時間を色々考えたりして、ふと、「大阪城にもう一度行ってみよう」と思ったのです。

 20年以上前(小1か小2)、妹と大阪へ行ったことがあって、その際、祖父母が大阪城へ連れて行ってくれました。もちろんその時は豊臣秀吉なんか知らなかったので、大阪城が歴史上どんな意味を持っているかということも全く知りませんでした。ただ覚えているのはたくさん歩いたのと、城内で見たやけに金色に光る金鯱でした。修復工事中でもあって、見られない部分も多かったような気がします。城内がどんな風になっているのかは全く覚えていないので、知識をいくらか得た今、行ってみようと思ったのでした。

 最寄り駅から歩いていったのですが、覚えていた通り、遠かったです。大阪城公園というだけあって、公園入り口から城までは結構な距離でした。ホールまであって、本当に大きな公園でした。

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 ようやく城の入り口に着いたのですが、思った以上に城が小さく見えてびっくりしました。城というぐらいだから結構大きいものを想像していたのですが、「これが城?」という感じでした。ただ、見た目は小さくても、中に入ってみると、色々な展示があって、狭くは感じませんでした。

 小さい頃は階段を上ってとにかく上へ上へ、高いところを目指していましたが、今回はじっくり展示を見てしまいました。こんな展示があったことは記憶にすら残っていませんでした。豊臣秀吉に関する展示はもちろん、 明治維新150周年展としてやっていて、当時活躍した各藩の有名人の展示は特に面白かったです。真田家の上田藩はもちろん、薩摩藩、長州藩等。全国各地の藩を紹介していたので、各藩のスペースは小さかったです。そのため、その「選考」から漏れてしまっている有名人も居ました。一番印象に残っているのは、長州藩の大村益次郎がなぜか「大阪」の特別枠で紹介されていたことでしょうか。

 特別展以外にも、大阪城では、関ヶ原夏の陣の絵も飾られていました。歴史の教科書で見たきりでしたが、意外に知っている武士が登場していてちょっとびっくりしました。こうやって一枚の絵にしてみると、どの家とどの家が協力、敵対関係にあったのかということもよく分かります。

 姫路城を回って、この大阪城に来て、歩き疲れてしまいました。後日、「真田太平記」を読み進めていくと、あの有名な真田丸が大阪城にあったということが書かれていました。私はそれを知らず、公園を後にしてしまったのでちょっとがっかりでした。多分今はもう現存していないと思いますが、公園のどこら辺にあるのかちょっと興味があるところです。

神社巡り [旅’17]

 私は信心深い方ではないのですが、学業関係の神社に立ち寄った時にはお参りをするようにしています。今回、関西での旅では「出世」関連の神社に立ち寄りました。元々計画していたわけではなく、たまたま寄った神社が出世関連だった、というわけです。

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 まず姫路城近くにある、播磨国総社。黒田官兵衛が出陣前にお参りしたということで有名らしいこの神社。彼の勝運にあやかってということらしいので、一応お参り。太宰府のなで牛ならぬ、撫でみみづく(知性の象徴)もあったので、しっかり撫でてきました。どこを撫でたらよいのか分からなかったので、頭の部分とかぎ爪(幸運をつかめるように)を撫でてきました。

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 そして、大阪城近くにあったのが豊国神社。豊臣秀吉が奉られている神社で、これはしっかりと「出世神社」と書いてありました。ここでは自分の出世をお参りしてきました。自分の出世が具体的に何であるのかよく分かりませんが、日本でのフィールドワークを終え、次のステップへ向かうには良い神社巡りだったと思います。

姫路城 [旅’17]

 日本出国3週間前、大阪に居る祖父母訪問旅行を計画しました。ゼミの発表を行ったその日に、新宿バスタから深夜バスに乗って大阪へ。ゼミの発表が上手くいってもいかなくても、数日何も手に付かないだろうと思ったからです。嬉しくも、ゼミの発表は上手くいったので、ワクワクしながら大阪へ向かいました。

 夜行バスを頻繁に利用していた学部生時代に新宿バスタは存在しませんでした。いつも、東京駅か新宿駅発のバスを利用していたのですが、会社ごとに集合場所が違います。東口だったり、西口だったり、最寄りの大きなホテルだったり。このような時に限って私はいつも出る出口を間違えたりして、夜行バスは乗るまでが結構ハラハラ、ドキドキでした。

 今回日本に来て、初めて新宿バスタを利用したのですが、便利!全てのバス会社の出発地が集められ、また受付もあるので、心配であれば乗り場について聞くこともできます。

 梅田に6時30分着(あまり行く場所ではないのですが、夜行バス発着バスということで慣れてきました)、東寝屋川の祖母のお見舞いに行き、そのまま宝塚の祖父母のところへ。夜ご飯まで居て、その後1時間以上かけて姫路へ。とにかく移動の多い日でした。

 なぜ姫路へ行くのか?それは日本を離れる前に姫路城を見てみたかったです。(ちょうど「真田太平記」を読んでいたこともあり)特に、戦国時代、明治維新の辺りに興味がある私ですが、城にあまり興味を持ったことはありませんでした。家庭教師としてフランス語を教えていた生徒さんが、城マニアで、たまに城の話をしていました。その当初は「ふーん」という感じで話を聞いていました。しかし平成の大修理が行われる頃、「ブラタモリ」などで姫路城が取り上げられるように、「一度行ってみたいなあ」と思うようになりました。日本を離れる前に一度行ってみようと思い、この弾丸ツアーを計画したのでした。

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 姫路城へ行く日は幸運にも晴天。「白鷺城」と呼ばれているだけあって、青い空に白い城が映えていました。離れた所から見ると、華やかな感じがしますが、近づくと「要塞」という感じがします。これが、ヨーロッパで言うと「castle」と日本の「城」の大きな違いかな、と思います。ヨーロッパで城というと、財力を尽くしてどれだけ豪華に、きれいに見せるかということに力を入れています。しかし日本の「城」はどれだけ知恵を尽くして、敵からの攻撃を防ぐのかということに力を入れています。姫路城も例外ではなく、城に近づけば近づくほど、敵への攻撃に適した造りというのが見えてきます。

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(敵の侵攻を防ぐため、急なカーブをえがいている石垣。黒田官兵衛も関わったであろうと言われている石垣)
 姫路城と聞いて、私はすぐに有名な武将というのが思いつかなかったのですが、色々展示を見てみると、あの人もこの人も姫路城と関わりがあることが分かりびっくり。例えば、黒田官兵衛はこの姫路城で生まれていました。

真田太平記 by 池波正太郎(1974) [読書'17]

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(最終巻は日本に居る間に読めず。出国前日に、高田馬場のBookoffで購入し、ドイツへ向かう道中で読みました)
 ウィンドーショッピングはあまり好きではないのですが、本屋をウロウロして、どんな本が売られているのか見るのは大好きです。そのため、日本に居る間、テレビはありませんでしたが、「今はこういうドラマをやっているのかー」と何となく把握したりしていました。小説が原作だったり、ドラマの関連性をうたった帯が文庫本に付いていたりしているので、結構テレビでどんなドラマをやっているのか知ることが出来ます。中でも目を惹いたのが、歴史小説のコーナーでした。昨年の大河ドラマ「真田丸」の影響で、関連本がたくさん出ていました。私は真田一家についてほとんど知らなかったのですが、あらすじを調べてみると戦国時代、これは読むしかないと思いました。

 よく本屋の目立つところに並んでいたのは池波正太郎の「真田太平記」でした。 2016年の秋に調べた時には、まだ大河ドラマ放送中ということもあり、図書館でも予約がなかなか取れなさそうな状況でした。巻を重ねると予約の数はどんどん減っていくのですが、1巻から読まないことには仕方ないので、人気が落ち着くのを待つことにしました。そして、ベトナムから帰ってきて、思い出したのが4月下旬。ようやく図書館で借りることにしました。借り始めて気づいたのですが、これは12巻の長編。歴史小説で私が読んだ長編は、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」の10巻。「真田太平記」も結構厚かったので、読み終えることが出来るか少し心配でした。出国までに読み終わることが出来ませんでしたが、読み進めるのはとても簡単でした。司馬遼太郎のような、余談はほとんどなく、どんどん話が進むのでかなり読みやすかったです。ただ、1巻でもう既に戦国時代のメインイベント、本能寺の変が来てしまい、「後11巻もあるのに、(時間)配分間違ってない?」と思ってしまいました。ただ、この本能寺の変をはじめとし、戦国時代の武将が、真田一家の視点から描かれるのは面白かったです。

 題名からも分かるように、真田一家の話が、メインの登場人物は、真田昌幸(父)、信幸(長男)、信繁(次男)の3人と、忍びだと思います。大河の主人公になった次男の方が有名ですが、個人的には長男の信幸の方が私はお気に入りです。一家存続のため、西と東に分かれましたが、結果的に一家を存続させたのは信幸側。長男という難しい立場も共感出来る部分があったし、腹黒いのか、徹底的に尽くす人なのか見えづらい性格もすごいなあと思いました。もちろん、歴史小説なので、脚色は多く入っていると思いますが、この小説で言えば、信幸の人物に親しみを覚えてしまいました。

名古屋グルメ [旅’17]

 名古屋出身の知り合いに、名古屋グルメを色々聞き出し、事前調査をしていきました。父も事前調査をしっかりしていたので、名古屋のものが色々食べられる居酒屋へ行きました。色々注文してみたのですが、手羽先が一番おいしかったです。私は普段手羽先をあまり食べないのですが、ここのものは、カリッとしていて、とてもおいしかったです。また、名古屋と言えば味噌!味噌おでんも 食べてみたのですが、ちょっと重かったです。味噌おでんはやっぱり慣れていないので、不思議な味だなあと思ってしまいました。

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 このお店だけなのか、他の居酒屋でもそうなのか分かりませんが、キャベツが食べ放題。テーブルにはキャベツ専用の味噌というものまであって、これもおいしかったです。キャベツがすすむ味噌でした。

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 2日目は、味噌カツを攻めてみよう、と空港にあったお店で味噌カツを食べました。味噌カツ丼にしようか、と色々迷ったのですが、結局カツ定食。ソースか味噌か選べるのですが、私はハーフ(ソースと味噌)にしました。味噌は食べ慣れていないとちょっと重く感じるので、半分ソース、半分味噌ソースの定食にして正解でした。

明治村 [旅’17]

 3年ほど前から父が明治村の話をするようになって、名古屋=明治村というイメージが私の中で出来上がってきました。それで今回名古屋を選んだのですが、明治村が思った以上に遠く、結構な弾丸ツアーになってしまいました。

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(明治村にある札幌電話交換局)
 私は北海道にある「開拓の村」を想像していたのですが、スケールが違いました。歴史的建造物を1ヶ所に集めて展示というコンセプトは似ているのですが、同じ「村」でも規模が全然違いました。開拓の村は1日あれば全部まわれてしまいます。しかし明治村は、広いのでゆっくり見ていたら、1日でまわるのは難しいと思います。

 そのためこの日は、見たいものを厳選して、それにフォーカスしてまわりました。「明治維新時代ファンとしては、西郷従道の家は欠かせないよね」とか言いながら、地図を見て、村をまわりました。私達が厳選した場所は、一つのエリアというよりは、明治村全体だったので、結局村をまんべんなく歩くことになりました。

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 一番遠い場所にあったのが、この写真の帝国ホテルですが、思ったより小さくてびっくりしました(玄関部分だけだからでしょうか)。東京にある現在の帝国ホテルには入ったことがあるのですが、それが大きすぎたからでしょうか。小さくても内装はレトロな感じがそのまま残っていて、イメージとしてはホテルオークラのような感じでした。

名古屋へ移動 [旅’17]

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(4月上旬東京駅近く。1ヶ月近く東京を離れている間に、もう桜が咲いていました)
 私達3姉妹の中の「部長」(部活動の部長ではなく、会社の中の頼りがいのある部長のような感じだ、と私は勝手に思っています)である次女の陣頭指揮の下、旅の計画が着々と進められていきました。両親への誕生日プレゼントということで、サプライズ旅行を計画したのでした。札幌と名古屋の2ヶ所での旅行で、私は父へのプレゼントということで名古屋の旅を担当していました。日程としては、シンガポールから帰国し、そのまま名古屋に向かうという予定でした。シンガポールを出発しバンコクで乗り継ぎ、成田到着。そのまま空港からスーツケースを自分のアパートに郵送し、1泊2日の荷物を持って、空港バスに乗って、東京駅へ。そして東京駅発名古屋行きのバスに乗る予定でした。東京-名古屋間は時間指定でチケットを購入したので、まずは時間通り東京へ着くことを祈るばかりでした。シンガポール出発が遅れないか、バンコクでのトランジットで機材故障は無いか、ずっとヒヤヒヤしていました。特にシンガポールとタイで、時差があることを知らず、バンコクに到着して時計を見た時はかなり焦りました。トランジットの時間が1時間半しかなくて、この時は本当に「乗り遅れる」と思いました。しかし時差が1時間あることが分かり、かなり余裕でゲートに到着したのでした。バンコク-成田のフライトはスムーズで、結局成田には5分ほど早く到着し、問題無く東京駅へたどり着きました。

 そして東京駅からはバスで名古屋へ。私は名古屋へ行くのは初めて。東京と名古屋の距離感もいまいち分からず、「4時間もかかるんだー」と思ってしまいました。東京-大阪間は数知れずバスで移動したので(多分飛行機での往復より多い)、高速の途中にある休憩所の名前もなんとなく分かります。しかし、今回は、聞いたこともない休憩所ばかり。「ここは何県なんだろう?」と、自分の現在地が分からないまま時間が過ぎていきました。また、途中で工事があって、ちょっと渋滞していたりして、「約束の時間に遅れる!」とドキドキしていました。一応サプライズで企画していたので、私が名古屋へ行くことは父に伝えていませんでした。そのためとにかく時間通り着くことが不可欠でした。結局、無事に時間通り名古屋駅到着。予想はしていましたが、とても大きな駅でした(東京駅のような感じ)。待ち合わせ場所もしっかり確認しておいたので、迷わず待ち合わせの改札口へ。しかし待っても、なかなか父が改札から出てきません。しばらくすると、別の方向から父が。聞いたところによると、既に到着していて、私を待っていたそうです。テレビの「どっきり」のように上手くはいきませんでしたが、1泊2日の弾丸名古屋ツアーが始まったのでした。
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